僕はこの十年以来、芝居についての意見又は感想を書きつづけて来た。
 十年前と今日とでは、局部的には可なり事情が変つてゐるやうだが、劇壇全般の空気といふものは、依然、僕の「健康」には適しないもののやうである。
 僕の望んでゐることは、せめて、自分の周囲に、純粋な「演劇的雰囲気」を感じたいといふことで、そのために、重複を厭はず、同じことを幾度も繰り返し、少しでもその反響が現はれるのを待つてゐた。
 幸に、近頃になつて、本誌(「劇作」)に拠る若い友人諸君が、期せずして僕の目標とするものを目標とし、創作や評論の上で、着々有意義な仕事を見せてくれはじめた。
 ところが、芝居の社会といふものはどこの国でも同じだと見え、なかなか「本質的」な努力が一般の注目を惹かず、本誌の如きも、僕などが考へてゐたよりも、売れる部数が少いらしいのを知つて、甚だ心外に思ふのである。
 こんなところで本誌の提灯持をしてもなんにもなるまいと思ふから、それはやめるが、少くとも、現在の日本に於て、「本当の芝居」を求め、自らその道にはひらうとするものは、その精神に於て、今日までの「新劇」と絶縁せねばならぬ。
 それは、今日までの「新劇」が全く無為無能であつたといふのではないが、既に為すべきことをしつくして、生くべからざる時に生きる存在となつてゐるからである。
 どこを指して僕がかういふ批難を加へるのか、それは、従来屡々述べて来たことであるが、もう一度ここに更めてその要点を挙げれば、
一、戯曲の本質に対する認識不足。
二、「演出」なる観念の根本的錯誤。
三、俳優の素質及び演技に対する消極的見解。
四、「新劇運動」と「近代劇運動」の混同。
五、日本在来の演劇に対する批判の不徹底。
六、西洋演劇の移入に当り、そのなかに含まれる「西洋的なもの」と、「演劇的なもの」との区別がわからなかつたこと。
七、西洋劇の「結果」を取入れることに急で、「過程」を研究しなかつたこと。
 等々である。
 詳しい説明は略すが、周囲を見渡すと、多くの戯曲作家、演劇評論家、劇団関係者(無論俳優を含む)が、いつまでも、口で「新劇新劇」と唱へながら、以上の問題に無関心であることが察せられる。
 それゆゑ、大勢に於て、わが国の「新劇」は、三十年来、少しも進歩してゐないのである。
 嘗ては「新劇」の敵国であつた「歌舞伎」や「新派」が、相変らず劇壇の中心勢力であり、その勢力のなかに、動もすれば「新劇畑」の人々が捲き込まれ、吸ひ寄せられる奇怪な現象は、抑も、何に原因するかを考へてみるがよい。それもまだ、歌舞伎や新派が、この現象によつて、「多少でも」新劇的栄養を摂取するといふのならよろしいが、そんな気配は露ほども見えぬ。単に、一時的の便宜に、目先を変へるための装飾に、「新劇的材料」が使用されてゐるにすぎない。
 僕の嘱目する批評家内村直也君は、三田文学誌上で、「新劇は何故盛んにならないか」といふ疑問に答へてゐる。
「新劇」を「現代劇」の意に解せよといひ、これを「前衛劇アヴァンギャルト」と区別するの必要を説くあたりは、僕も大賛成であるが、その新劇が盛んにならぬ理由として、(1)資本家のゐないこと、(2)新劇によつて食はうとしないこと、(3)新劇関係者に根気がなく、また道草を食つてゐたこと、(4)批評家が不親切で、劇作家が眠つてゐること、言葉は多少違ふが大体以上のやうに結論を引出してゐる点に関して、僕は、多少、云ひ分があるのである。
(1)、今日までの「新劇」は商品にならぬから資本家がつかぬ。これをどうすれば商品にし得るかといふ見当がつけば、金を出すかもしれぬが、さういふ見当をつけさせるやうなものさへ、これまでの「新劇」にはないのである。早く云へば、発展性が見られぬ。
(2)、「新劇」によつて食はうとしたものは、これまでにも随分あつた。ところが、さういふ意志と希望にも拘はらず、それが駄目だつたのである。原因は内村君も云つてゐる通り、現在のやうなやり方をしてゐるからだ。そんなら、どうすればよいか? 企業形態を整へるのもよからう。が、それより前に、新しい芝居の「面白さ」を正しく認識せねばならぬ。
(3)、新劇関係者は、僕の見るところ、よく今まで根気が続いたものだと思ふくらゐだ。遥かに光明を目指して、しかも光明から遠ざかりつつあることを知らなかつたのであらうが、少くとも、それに近づきつつあると思へぬ道を、よくも歩きつづけたものだと、心が傷むくらゐだ。なかには落伍したり、身売りしたり、いらざる道草を食つたものがゐるにはゐても、それらの人々を責める権利は誰にあらう。
(4)、批評家の不親切よりも、その無定見は非難さるべきである。しかし、意見もあり、親切でもあつた批評家が、どれだけ「新劇」に裏切られたか? 批評家は決して、「新劇」の生みの親ではない。しかも今日、批評家は、まだ、甘い伯父さんではないか? 偶然の出来栄など、その物だけで褒めそやすことは、今日、批評家としては不必要だと思ふ。ただ無益な弥次は、天に向つて唾する類であることを知ればよい。劇作家については、僕自身もなんとか返答をせねばならぬ。実を云ふと、目下考へ中である。内村君、そのうちに、直接お目にかかつて、素晴しい弁解をします。
 が、兎も角、僕も内村君と同様、今日の「新劇」をなんとかせねばならぬと考へてゐる。これは人のことでなくて、自分自身の問題であるから、批評としてでなく、実行として何等かの覚悟が必要である。

     そこでまづ手始めに

 僕は現在の周囲から、「憂を倶にする」人々をピック・アップして、一種の「演劇クラブ」を作り、あはよくば一つの「新運動」を起したいと思ふ。
 そして、それは当分、極めて小規模に、且つ極めて気永にやつて行くつもりである。
 そのグルウプは、作家、俳優、演出家、及び、純然たる素人から成るものであつて、何れも「語られる言葉の美」に関心をもち、「物言ふ術」の具体的研究に興味と野心を有する人々に限られる。
 会合は月に一回の予定であるが、会員は総て「言葉の俳優」たる資格試験をパスしなければならず、例会には、交互に、「その研究」を発表する権利と義務を負ふものである。
 事、芝居に関しては、仏頂面と四角四面は禁物である。但し、礼節の範囲に於て批評の自由は保たれ、一座を白けさせない程度に「天狗」たることは妨げない。そこでは、羞恥は美徳にあらず、アヴンチュウルは犯罪と見做されるであらう。
 既に若干の申込者がある。何れも年齢二十より五十歳までの紳士淑女である。まだ試験はしてゐない。
 定員は、十名である。
 入学希望者は、簡単な履歴書と「愛読する戯曲の一節(二十行以内)」を送つて来て欲しい。その前に直接面会は絶謝する。

     さて、かくして

 僕は、自分の周囲に、自分の望む「演劇的雰囲気」を作り、それを次第に、自分の友人の周囲に押し拡げて行かうと思ふ。
 そこで、僕が近頃度々使ふこの「演劇的雰囲気」といふ言葉について、もう少し説明を附け足せば、今日、戯曲を書き、舞台に立ち、又は新劇団の各種の仕事に従事してゐるものは、それぞれの「演劇的雰囲気」を自分の周囲にもつてゐるに相違なく、その雰囲気が、彼等に希望を与へ、精神を鼓舞し、仕事の標準となり、新たな発見を加へさせてゐるのである。ところが、歌舞伎や新派のもつ雰囲気は、既に、歌舞伎的新派的なるもの以外に何ものをも生み出させないことは明かであり、所謂今日の「新劇」のそれにしても、従来の「新劇的」なものより外、これといふものを育て上げてゐないのである。
 辛ふじて、本誌に拠る同人諸君は、前に述べた如く、期せずして、一つの「劇作」的雰囲気なるものを在来の「新劇」のそれから引離すことに成功し、その結果、わが新劇史に一時代を劃する本質的傾向の発見者たり得たのである。
 が、演劇の全般的向上は、一雑誌の作り出す雰囲気だけでは、容易に実現を望み得ないといふことを、同人諸君も十分に承知してゐるから、それぞれ実際運動に片足を入れたり、入れかけたり、入れた足を引込めたりしてゐるのであるが、僕の考へでは、「既に存在するもの」のなかにはひるといふことは、危険千万であつて、自ら求めてなすべきことではないと思ふ。諸君に、それを「変貌せしめる」だけの力があるにしても、その間に、諸君が「変貌する」可能性はないと保証できない。
 僕はそれについて、自分自身の問題としてこれを考へてゐるから、敢て、次のやうな提言を試みるのである。
第一に、実際運動をはじめるなら、先づ、根本的に「新しい新劇精神」を打ち樹てて同志を糾合すること。
第二に、実際運動に遠ざかり、且つ、現在以上、実際的刺激となる「演劇的雰囲気」を求めるなら、現在、幸ひにして、西洋のトオキイといふものがあるから、主としてそのうちの優れた舞台俳優の出演するものを選んで、仔細に、その演技を観察翫味するがよろしい。「映画は演劇よりも演劇的なり」といふ逆説が、現代日本では立派に適用するのである。映画を映画として観賞するなんていふ余裕は、今のわれわれにはない――ともいへるであらう。
     極言すれば

 僕は、原則として、演劇は「俳優」を本体とするものであると思ふ。俳優なくして何の演劇ぞやといひたいのである。今日は、その俳優を作るために、ただ一人の才能あり、高い精神を有する俳優を生み出すために、われわれは全力をあげねばならぬ時代である。われわれの努力は、しかも、直接の力とはならぬ。一人の無名の青年か、又は女性が、たまたまその才能と精神とを以て、われわれの前に現はれるといふ機会が、その努力に酬ゆるか否か、希望はただそれだけだ。
 或は既に、今日までの「新劇」が、かくの如き幾人かの男女を引入れたかもしれぬ。が、今日までの新劇の舞台とこの雰囲気は、彼等の才能を蝕み、彼等の精神を鈍らせてしまつたのであらうか。
 若しも十年前に、一つのよき雰囲気が存在したならば、彼等は現在、毎日千人の見物を、一月間呼び得たであらうと思はれるやうな男女優を、少くとも三四人僕は識つてゐる。
 しかも、彼等が、かくあるべきやうな彼等であつたなら、現在、日本にも、一人のヴィルドラック、一人のモルナアル、一人のオニイルぐらゐは出てゐた筈である。いや、一人のチェエホフさへ出てゐたかもしれぬ。
 古今東西の演劇史を詳細に調べてみればわかる。演劇の隆盛は名優の輩出に負ひ、名優は才能ある作家を発見してこれに傑作を生ましめてゐるのである。名優と天才作家――このコンビネエションがさほど明かでない場合でも、一時代或は一国の演劇文化は主として俳優を通じて、名作戯曲の出現に何等かの寄与をなしてゐる。
 現在の日本は、戯曲家が腕をふるふ前に、演出家が舞台にのさばる前に、先づ、俳優らしい俳優が一人、起ち上らねばならぬ。
 一人のハアバアト・マアシャル、一人のクロオデット・コルベエルで沢山だ。
 俳優型美貌は役に立たぬ。若干の「人間的魅力」と、一と通りの近代的教養と、常人以上の感受性と、俳優たる十分の矜恃を必要とする。そして、何よりも、「現在の新劇」は概して観てゐられないといふ神経――そして、その焦立たしさを、朗らかに表現するほどの機智を要求したい。

     とは云へ、公平にみて

 現在、そこここで悪戦苦闘を続けてゐる新劇団体の、何れにも僕は見切りをつけたといふわけではない。大した希望ももてないかはり、あのままでは惜しいといふ気持も可なりあるにはある。殊に、その中に、一人二人、心がけ次第では可なり伸びられさうな才能をもつた俳優がゐる場合には、人ごとながら、秘かにやきもきしてゐる次第だ。
 それらの劇団から、時々切符を送つて貰ふ度毎に、さういふ俳優がどんなことをしてゐるか、ちよつと見に行きたいやうな気がすることもある。が、舞台全体としては観ない先から見当もつくし、おほかたは、それらの人々の不心得、不始末を見せられる結果になるので、風邪など引きかけてゐるのを幸ひ、まあやめとけといふことになる。あとで、人から面白かつたといふ噂を聞くと、それでも、いくらか残念な顔はするが、内心、どうかしらと疑ふのが常である。
 方針さへよく、稽古も十分で(少くとも一と月はやり)、出し物にも興味がもてれば、俳優は素人でも、僕は出かけて行くつもりだ。観たらきつと批評もしたくなるであらう。
 伊賀山精三君の「唯ひとりの人」をやつた劇団は、一度観ておくつもりだつたが、伊賀山君が是非来いと云はないから、丁度その晩、この原稿を書いた次第だ。伊賀山君が僕に遠慮をする筈はないからだ。
 美術座は、本庄桂介君が、僕のところへ見えて、何か新聞へ宣伝文を書けと云ふから、稽古を観た上でといふ約束をし、東洋ホテルの広間で、贅沢な稽古を拝見した。
 その感想は、最近、何かへ書くつもりだが、お世辞を云はぬことにする。
 往年、築地小劇場の旗揚以来、僕は、新劇団に対して、云ひたいことを云つてゐる。場合によつて提灯持ちの役も勤めるが、好い加減な法螺を吹いたところでなんにもならぬ。美術座には本庄君以外、旧知の諸君も大分ゐたが、会へば誰でも懐しい。まだ芝居をやつてゐるのかと思ふだけで、さう悪口も云へなくなるが、いつの間にか達者な「役者」になつてゐる人もゐて、僕は少々照れた。それにしても、稽古中なかなか味をやるので、うつかり最後まで座を起てずにしまつたことを告白する。(一九三四・三)

底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「劇作 第三巻第三号」
   1934(昭和9)年3月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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