しかし、人間の持ち前というものは、どう仕様もないもので、河井さんは河井さん、浜田さんは浜田さん、富本さんには富本さんと、各々その人々の個性と好みが自ずと具現していて、その持ち前の表われが観る者の眼にはほんとに面白く感じられる。
誰が何をするにしても、個性の他に先入主というものがあって、いやらしく、ぴったりとこびりついている。それが良い素因を作っている場合もあるが、悪い祟りとなって一生とりつかれ、不自由させられている場合もある。そこには囚われんと欲するも能わざる体のものがあって、各人それぞれ容体や色彩を異にして見参する。こんな意味で以上の三氏も大同小異ながら趣きを異にするものである。しかも、この三人を大なり小なり動かした者に英人リーチがいる。この人も眼色の変っている如く持ち味も少しく別である。ここへ図らずも遅れて出た、しかも十五年も後に顔を出して、その出現を怪訝な眼をもって見られた小生が加わるとなると、いよいよ多彩多異、賑やかたらざるを得ない。
この四人の特色が一々に異なっていることは、固より不思議のあろうはずはないが分けても刮目に価いすることは、小生を別にした四氏が、揃いも揃って在来の茶道的鑑賞を問題にしていないことである。日本的最高所を軽視することである。ここで明白に、無視しているということも、どうかと思われないでもないが、ともかく茶道鑑賞、すなわち美術鑑賞を根幹として樹ち、三、四百年も流れて来ている茶道鑑賞に一向関係がついていない。このことは、それぞれの作品に徴して明白である。
茶道趣味に関係がないとなってみると、そこに何が生まれるかを語る前に、考えねばならぬことは、なぜ茶道鑑賞を取り入れないかということである。得手勝手な臆測を理由として否定しているか、訳もなく食わず嫌いを標榜しているか……それを検討する必要があろう。それがいずれにしても誤謬から生まれている囚われであることは、私どもの眼にはそれとなく察せられる。それもある理由により否定すると明白なものであってみればまだしもであるが、茶道など何となく面倒に感じられるから覗いて見ないまでである……の粗末な感情で茶道鑑賞をうっちゃっている……では残念である。さてこの態度なるものを矜持するものの手からは何が生まれる、何を根拠にしてスタートしているかであるが、これは簡単に時の流れ、現代の空気と片付ける他はないようである。
従って現代の趣味のすべてが表現している通り、洋風取り入れ趣味をもって歩調を合わすところのものである。伝統の日本趣味にはおさらばをしているところのものである。これを一部の人は創作と呼称している。日本画に於ても、これと同様な事が見受けられて苦笑する他ない現状である。
だが世の中を広く深く体験しない年若の人々の趣味には、これが好賞されるのは蓋し当然の帰結であろう。この故を知るに由ない茶道人の嫌忌を購うのも無理ないが、茶道人が、この種新人から時代遅れをもって扱われる悲劇も、已むを得ぬ帰結と言えよう。
かくして、以上の作者たちは、新人への嗜好に投ぜんことをモットーに、新工夫の苦心を進めている状態である。即ち、新舞踊の姿である。新舞踊はどう考えてもお能ではない。碧い眼を濾過した怪日本である。それかと言って、必ずしも出鱈目でもないのである。
曰ク朝鮮、曰ク丹波、曰ク瀬戸、曰ク九州と、あるいは西洋と拠るところ少なしとしない。
しかし、概して下手物と称されている種のものに多大の関心が払われているのは事実である。下手物の美とは誰にも七面倒くさい教養を要せずして直ちに見てとれる良さを有し、大衆に手取り早く得心のいくものである。それが程度の高下は、ここに論じることを差し控えるとしても、何としてもそれが一部の作家に偏食されていることは否み難い。鑑賞の偏食は趣味を病弱者にしてしまうところのものである。下手物も認める。上手も認める。鯛もうまいが、鰊もうまい、と、すべてを食い尽して完全な味覚と栄養が語れるように、美術工芸も偏食から生まれる製作は病的であり、虚弱である。健康の美顔など望むべくもない。みずから誇るところではないが、小生はかく心の用意をもって、あれもこれもと次々に試食、健康の増進を望んでいる。しかし、世界中のありとあらゆる栄養食を食い尽さんとする努力は固より容易なものではない。いつまでかかるものであるか判るものではない。小生は今その坂の途中を歩むものであるが、今の分では、どうも日本味が身について健康体を生む第一の栄養らしく、まことにうれしい。西洋も中国も朝鮮も食い厭きてしまったからであろう。それでも時折は取り出して再吟味するが、すでに日本味を知った小生の体躯には、もはや朝鮮、中国、下手物の丸呑みでは、良き栄養となって真の健康をつくってくれないこととなった。ここに於て小生の仕事は、欧風の美点あらばそれを採って日本化することである。どう間違っても、日本の美点を欧風化する人々への交わりではない。
(昭和十三年)