あらすじ
古九谷焼は、伊万里や有田焼とは一線を画す、芸術的な美しさを持つと著者は主張します。職人的な技巧に留まらない、深みのある味わいを持ち、見る者の心を強く惹きつける力を持つと力説します。特に著者は古九谷の絵付けに見られる豪快で雄大な筆力に魅了され、久隅守景の絵との違いを指摘し、古九谷はむしろ俵屋宗達の絵に近いと主張します。古九谷焼こそ日本製陶史の頂点に立つ、稀に見る傑作であると断言し、その魅力を力強く表現しています。
 大聖寺の臣後藤才次郎なるもの徳川の万治年間、九州有田の製陶秘奥を探り、帰来所謂古九谷焼が創まる。あるいは中国に渡って古赤絵付けの法を得た。こんないきさつを無上に詮議だてして興がっている人もあるが、吾人の如きは、そんなことはどうだっていいじゃないかという方の組で、そんなひまには直ちにモノを直視する。実体そのものの価値を観てそれに感じ入る。また、それに具わった美に心を打たれて心身を浄める等々、これらの事柄を大切に心得る方の愛陶組である。ゆえに、お国贔屓は全然ない。即ち是を是とする。従って文献などは刺身のツマぐらいにしか心得ていない。
 しかし、こんな意見は吾人の一人よがりの意見にすぎないから、これ以上は遠慮するとして、本論、即ち古九谷が有する美の価値に言を移してみよう。
 そこで吾人が常に思っている所をさらけ出して見ると、伊万里とか、有田とか、古九谷とかは製陶の手法こそ相酷似しているものの、実体が有する美的要素に於ては、前者と後者と価値を黒白の如く全然別にしていると断言したいのである。有田にも伊万里にも結構な出来が有るには有るが、悲しいことにそれは幾何あっても職人の仕事としての成果である。職工美術としての価値以上はなんとしても、見出し難いのである。言い換えれば、実に非芸術的であって、無精神な、単なる工芸美術なのである。ゆえに美的鑑賞の低級な欧米人の好みにはうまく当てはまっても、日本の眼のある好者には、これを尊べと言われても甚だ迷惑物なのである。
 それに引き換え古九谷の方は根本的にものが違うと言ってよい。それでもやはりその出来不出来によっては九谷ながらも随分段違いがあって、皆が皆芸術的とは申されないが、本質に於ては実に断然芸術的なのである。真にこの事こそ不思議な現象だと常に思っている。伊万里、有田なるものはいかに動いても、その結果の立派さが職工的にのみ成就し、遺憾なことに、深みのない、味のない、余韻のない、干からびたものにしか過ぎない。なおも言うと、それと反対に九谷となると、初めからガアーンと芸術的に吾人の眼に迫って来る。同時に真に心からの欣びが胸から湧き出ずるのである。この事、同じ時代、同じ日本の仕事であるに拘らず、伊万里、有田は単なる職人芸に止まり、加賀の九谷は、かくも芸術的であるとは、実に何としても不思議である。
 ここに於て吾人は伊万里、有田の焼物を尊重するわけに行かないは勿論、固より愛玩するわけにはいかない。これを実用に供する事さえ拒否したいのである。それが事一度古九谷となると、その優秀作に出会わしては借金してもという気持が振い起こり、毎度その事で買物の前に悩まされる。全く古九谷は恐ろしく芸術的だ。男性的であり、豪快であり、雅もまた頗る雅であって、世界中の焼物の前に断然優越を感ずるものである。彼の万暦赤絵などから見ても有情であり、人間味に富んだ趣きのある点が我が国産として大いに誇られるわけだ。
 ところで話は別だが、よく古九谷と久隅守景を結びつけて、九谷の絵の出来の良さを世人の多くは、直ちに守景下絵を叫び欣んで止まない習慣を見るが、その事は守景が相当勝れた画家であって、古来有名であるために俗耳に響かせるトリックとして、なにも心にない者までが、その風習をわけもなく与太承知の上で、受続けているだけらしいのである。この絵付けについて吾人の観る所を披瀝すると、古九谷の絵なるものには真に守景以上の価値として観るべきものが少なくないのである。守景もさる者ではあるが、守景の古九谷に相応ふさわしからざる点を挙げると、第一に筆力が強くないことである。それが古九谷の絵となると、不思議なくらい、筆力雄勁で全く豪快なのだ。守景の特徴はと見ると、その絵に人一倍な雅致を有する持ち前の有る事であるが、そのかわり雄勁且つ豪壮といかないのが、守景の絵の不足分として吾人に喰い足らなさを感ぜしめる。
 要するに、吾人の観るところでは、古九谷は久隅守景の感じではない。むしろ俵屋宗達の感じである。そうは言ってみても、守景が構図あるいは下絵を与えた事が少なくなかったかも知れないが、数限りなく産出した全古九谷から見れば守景の下絵の如きは、その万分の一にしか当らないものと見てよかろう。かように古九谷を見つつある吾人は、古九谷さえ見れば、判で捺したように、守景を叫ぶ現実の声が耳障りで、実に厄介だ。この問題に出会うといつでも、そらまた守景が出たぞ、で耳に蓋する次第である。
 それはそれとして、全くのところ日本の過去にかくも立派な芸術に価いする古九谷が産出されていたことは、日本製陶史の非常な強味であって、この一点が添えられているため、日本陶磁界は完璧の境に達したと明白に強く言い切ってよかろう。
(昭和八年)

底本:「魯山人陶説」中公文庫、中央公論新社
   1992(平成4)年5月10日初版発行
   2008(平成20)年11月25日12刷発行
底本の親本:「魯山人陶説」東京書房社
   1975(昭和50)年3月
入力:門田裕志
校正:木下聡
2018年11月24日作成
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