あらすじ
北大路魯山人は、志野焼の起源を探るべく美濃の国で発掘調査を行いました。その結果、古来より謎に包まれていた志野焼の窯跡を発見し、さらに古瀬戸や黒茶碗など、様々な茶道具が美濃で焼かれていたことを突き止めました。また、瀬戸の三十六窯を調査し、美濃と瀬戸の焼き物の年代や技術的な類似点などを明らかにしました。魯山人は、発掘によって得られた知見を元に、日本の陶磁器の歴史と文化に対する理解を深め、新たな視点を与えました。
 倉橋さんから先日彩壺会の講演の依頼を受けました。所が私は倉橋さんみたいにうまくお話が出来ません。そこで講演は幾度かお断わりしましたが、私がかつて発見いたしました美濃の発掘品を並べて、一先ず簡単にご報告をしようということを約束しました。
 古来日本では志野の焼物が大変喜ばれておる。ところがそれがどこで出来たか全くわかっておらなかった。瀬戸で志野某が注文して焼かせたという伝説が一般に信じられていました。
 さて昭和五年に名古屋の松坂屋本店で私の陶器作品の展覧会を催しました。その時手伝いに来ておった荒川豊蔵君が多治見の人でした。だから美濃の国の事情に精通していました。釉、顔料について私に智恵をつけてくれる人でした。展観手伝い中の余暇に美濃に行って古い釉薬でも探して来いと言ってやると、二、三日して戻ってまいりました。その時志野の破片を図らずも持って来て、私に、これはなんでしょうかと尋ねました。これはほんとの志野だ。私はびっくりしました。昔から志野の窯は誰にも知られておらなかった。勇み立って早速美濃の国にかけつけ、荒川君を鞭撻し、ここらあたりと思う所を掘ってみました。それが図らずも美濃幾十の窯跡中一番古い大萱窯だったのです。
 そこで志野が発掘されるので、興味をもったところが、志野と黄瀬戸と同じ窯から出て来て、再び、興味を湧き立たせた。次から次へと近々の窯跡を発掘して行きました。大体掘り返して美濃の窯はどんなものであるか、概念的にわかって来ました。
 例えば古来茶道でやかましい古瀬戸は必ずしも瀬戸に出来たものではなくて、美濃で焼かれていたことが明らかになった。その中でも私が意外に思いましたことは、古来の黒の沓茶碗というものは、茶道のために少数造られたものと思っておりましたのに、久尻窯から山のように発掘されて来ました。擂鉢を造るように造っていたことを明らかにしました。瀬戸黒茶碗と擂鉢と一緒に焼いていることもわかりました。やかましい瀬戸黒茶碗はごますりと一緒に焼かれていたのです。それからまた志野が志野だけ特別に焼かれたものではなく、黄瀬戸その他のものと一緒に焼かれたことなど、これまたわかりました。
 もう一つ考えさせられたことは、大萱の志野は一番芸術的に見て立派だった。古来茶人の珍重する焼物の芸術的根源をなしておるということです。
 発掘はその方法に於て奥田誠一君たちからお叱言を頂戴したのでありますが、発掘したおかげで以上のようなことがはっきりいたしまして、徒労ではなかったのであります。それからもう一つ、発掘では焼物を年代順に区別できません。下の物が古く上の物が新しいというようなことは、ごっちゃになってわかりません。年代的に行くと他の絵でもなんでも古いほど概して立派である。五百年前ほどより二百年前は劣る。五十年前でも今よりは優っている。大萱が一番古い。だから立派でした。その大萱はいつのころか、瀬戸を追われて行った陶人の足だまりとなった。瀬戸の三十六窯と言われておるが、それを虱つぶしに発掘したのは私でした。昭和二年のことです。瀬戸の作助の所で仕事をしておる間に冬になると、辺りの雉などを射って、歩く猟人がおりました。その男は山を歩いている中、谷川で瀬戸の破片を見て、近くに窯がある見込みをつけて発掘して見ると、出て来るまとまった品を道具屋あたりに売っていたらしいのです。その男が私を案内しようと言うことで、図らずも三十六窯を歩くことが出来ました。
 瀬戸と美濃瀬戸の年代の相違は、この発掘と美濃瀬戸発掘によって教えてくれるものがありました。ここには瀬戸三十六窯の発掘は持って来ませんでしたが、美濃と言っても瀬戸と全く類似のものがありました。大体区別は出来るのですが、中には相当その区別に慣れた私を迷わすものもありました。大萱と久尻との間に五斗蒔窯というのがあります。この種の瀬戸の伝世の茶碗は瀬戸のものに限るものと思われていたが美濃の五斗蒔から瀬戸そっくりの古調のものが表われて来ました。しかも、非常にたくさん表われたのは私を驚かせた。瀬戸の三十六窯のあつい時分、すでに美濃にも窯があったのではないかと思わせました。
 それからもう一つ技術の方面の話を申し上げます。エンゴロが火の作用か何かでゆがんで来ると中の茶碗がゆがんでいる。これはひとりでにゆがんで来たので、私どもには面白い経験でした。その他、いろいろ詳しく話したら尽きない話もないではありませんが、今日お約束に従い、ほんのちょっと、ここらで、発掘のおおまかな感想を以てお話を止めることといたします。
(昭和八年)

底本:「魯山人陶説」中公文庫、中央公論社
   1992(平成4)年5月10日初版発行
   2008(平成20)年11月25日12刷発行
底本の親本:「魯山人陶説」東京書房社
   1975(昭和50)年3月
入力:門田裕志
校正:雪森
2014年10月13日作成
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